自ら問いを立て、自他を享受する「個」の力を育てる
「人間尊重」と「自由自治」
理念に立ち返り、考えた、進むべき方向とは。
「教室は勉強せなあかんと構える場です。ここは違う。
友達としゃべったり議論したり、だらだらしたりする場なんです。」
そう述べるのは、今年3月まで京都精華大学の学長を務めたウスビ・サコさん。
日本の大学初のアフリカ出身の学長として、大きな話題を呼んだ。
2018年から4年間の学長を終えた今、
日本の教育課題や大学の進むべき方向をどう考えているのか、
サコさんに伺った。
※この3月に4年の任期を満了した前学長のウスビ・サコさん。
サコさんが学長選に立候補したのは、人文学部長だった2017(平成29)年。
京都精華大学はサコさんが学長に立候補していた当時、
学生の人数は定員割れを起こしており、
全体で61%ほどしか学生が集まらない状況だったそうだ。
そのような状況の中で、サコさんは原点に帰り、
京都精華大学の進むべき方向を考えた。
「学生を増やすためにも大学を変えていかなければいけないと、みんなが思っていました。私も、そのために大学の理念をもう一度点検してみたんです。」と、述べている。
理念は「人間尊重」と「自由自治」。サコさんは学長選に向け、
グローバル化とリベラルアーツを柱に大学改革のマニフェストをつくった。
京都精華大学の学生が国外に行くことと、留学生や外国籍・
女性の教員を積極的に受け入れること。グローバル化の展開は双方向を考えた。
また、今年2月には、京都精華大学に新しい校舎が完成した。
以前からあった「明窓館」という校舎を取り壊し、建て直した建物だ。
新しい明窓館には教室の機能がなく、すべてがディスカッションや
ワークショップ、展示や発表空間などで、
学生が「公共空間」として使えるようにつくられている。
2022年2月竣工した「明窓館」。講演会やイベントに使用できる大ホールや、
大型ギャラリー、学内での国際交流を促進するグローバルラウンジなどがあり、
学生たちが異文化に触れ、新しい価値観を学べる京都精華大学の中心的施設となっている。
「明窓館」、こちらの新しい校舎の構想も、 理念と向き合う中で
“みんなが自由に集まれて、偶然の出会いをいろいろつくれる場所とはなんだろう”
という問いかけから生まれたそうだ。
「みんなが自由に集まれるアフリカ的広場ができた感じです」明窓館が新しくなってキャンパスの真ん中が開放されたと、
サコさんは言う。
サコさんが理念をもとに考え、作られたこの明窓館はきっと、
学生たちにとってのびのびとくつろぎ、
国際交流できる場になっていることだろう。
全体で61%しか集まらなかった学生数も、
いまでは定員を少し超えるくらいになった。
サコ学長を中心に教職員も学生も一つになって大学改革を進めた結果に違いない。
<日本で感じる“言葉を選ぶ日本の文化”の難しさ>
西アフリカのマリ共和国が出身のサコさん。
幼い頃から成績がよく、親族からの期待は高かったという。
高校を卒業すると中国の国費留学生になった。
そこでは建築を学んでいたが、
大学院の修士課程一年の途中で留学先を日本に変えた。
その前年、日本を旅し“日本はオモロい国や”と気に入ったそうだ。
そして京都大学大学院で学び、博士号をとり、
その翌年の2001(同13)年に精華大の専任講師になった。
こうして出身国を離れ、中国・日本と新たな場所で学んでいる
サコさんの考え方や知恵が京都精華大学を変えたのだろう。
日本で暮らして、31年。日本で大変だと感じたことはなかったのだろうか。
「日本で一番しんどいと思ったのは、相手のことを想像しながらしゃべらなあかんということです。
こう言うとどう受け止めるかな、これ通じるかな、と。私にはできません」
サコさんは、自分の言いたいことは、きちんと言うが、
日本人の相手はこちらの気持ちを忖度して議論や会話を途中で止める。
あるいは非常に遠回しな言葉でそれとなく本音を伝える。
そのため議論が途中で終わってしまうのだ。
日本でいると曖昧表現や周りを気にし、
発言をセーブしているという人は少なくないだろう。
コメントを残す